高森顕徹先生との出会い

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「学生服の高森顕徹先生と歩み始めて五十余年」(2/2)


寺が使えないなら自宅ででも


 やがて寺が会場を貸さなくなりました。
 あんまり高森先生のご説法がすごいので、お参りが殺到したんです。「参らんか」
と言うて歩かんでも、いっぱいになった。報恩講か遠忌のように、内陣までいっぱいにお参りがあって、それでネタミが出たんだと思います。
 もう寺は貸さん、ということになってしまって。
 それでも、私ら聞かせていただきたいし。各家に高森顕徹先生を招待させていただきました。

 家は寺より小さいので、古くなった船の底の板を、船板いいますけれども、それを壊して、敷いて、聴聞してもらいました。
 家に縁側がありますが、その外、下に枠組みを立てて、その上に船板を渡して、座布団を敷いて。雨さえ降らなければ、そうしていました。
 畳と同じ高さになりますから、黒板も見えます。玄関にも船板を張って。
 参詣者で泊まる人が20人くらいになったこともあります。みんなごろ寝で。
説法される家に泊まってもらって、高森先生は別の家にお泊まりいただいて。
 たくさんの人が手伝ってくれました。役割分担もありましたし。
 みんな、心が一つでしたから。
 私の家も、いっぱいの参詣者でした。
 ご説法後も、皆さんが高森顕徹先生に質問されて、布団敷いてもなかなか休まれなかったのを覚えとります。



本願寺の妨害に猛抗議


   やがて、『顕正』に書かれている、本願寺の布教妨害事件が起きたのです。
 柏原祐義という本願寺の講師が、高森顕徹先生の言ってもおられないことを、ビラに書いて、配ったのでした。
 それによって、「寺を貸すな」ということになったんです。
 12、3人だったか、長浜の教務所に行って、5、6人の僧侶に、ものすごく抗議しました。
「私らそんなこと、高森先生から聞いたことない。保証人になります」
と言うて。
 あの時はもう、ホントに、寺の使用禁止を、取り消してくれー!と言うて、そでを引っ張って抗議しました。
 やんちゃやったというのもありますが、だけど、せずにおれなかった。素晴らしい先生のご説法を、中止して回るとはどういうことや、と。
 真実の仏法を説かれるのは高森顕徹先生お一人だ、すべての人が救われるかどうかの大事な先生やということを、肝に銘じていますので、そうせずにおれんかった。
自分はどういう目に遭ってもいい、皆さんが真実の仏法を聞かれるように、と心が燃え上がっていました。

【解説】大谷派講師・柏原祐義が出したパンフレットは、事実と全く異なる情報を並べ、的外れな非難に終始していた。
 ご説法後の控室で、『顕正』は5日間で書き上げられた。

(『顕正』"はしがき"より)
「最近、或る同行が一枚の書面を持参せられた。それには私の名前が明記せられ数項目にわたって悪意に充ちた非難擯斥が書かれていた。
 憤激した同行達は是非反駁文を書いて貰いたいと要請せられたが、その昔、聖人は八方総攻撃の中にありながら
『ただ、仏恩の深きことを念じて人倫の哢言を恥じず』
と忍従せられたではないかと一度は黙殺して隠忍しようかと思ったが、ただ悲しむべきことは、このような書面が世間に流布せられ、現に多くの道俗が雷同しているのに私個人の満足のみで黙殺すれば、何も知らない人達は、『高森は、こんなことを布教しているのか。異安心と言われるのは当然だ』と思うだろうし、御縁の浅い同行は危惧動揺するであろう。それでは如来聖人に対して申し訳がない。
 破邪せずしては顕正は出来ない。この際、私は、非難攻撃に答えると同時に私の真意を鮮明にすべき責任がある。生死の大問題は戯事ではない。人の顔色を窺って場面を糊塗すべきではないと自覚し、止むに止まれぬ心情より筆を染めたのが、この小冊子となった」



親鸞会 滋賀会館建立へ

 在家へ招待された方は何人もあったんですけど、今度はまた、家がいっぱいになってきました。
 私の母が、
「うちのやぶがあるから、高森先生に会館を立ててもらえんかなあ」
と言うので、母と私の2人で、土地を喜捨することに決めました。
 米原駅のそばで、機関車の走る音がやかましいと思ったんですけど……。
 高森顕徹先生に場所を見ていただいて、ご報謝させていただきました。
 親鸞会 滋賀会館は、昭和41年に建立されました。阿弥陀さまと高森顕徹先生のおかげです。
 それがまた、あっと言う間にいっぱいになってしまって。おはぎ詰めたように。降誕会とかいうと、ぴちぴちでした。

 その後も参詣する人は増え続けまして、増築が繰り返されました。
 玄関の入る方向を変えられたり、第2会場も造られました。
 トイレも足りんようになって、追加されました。
 やがて、ご法話会場は、駅のそばの滋賀県立文化産業交流会館に移りましたが、そこも、あっと言う間にいっぱいになりました。
 仏法が繁盛して、聞きたい人が、どんどんご縁を結んでいかれたんです。
 この真実を、知らずに死んでいったら、大変なことでした。

  (終)

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親鸞会と高森顕徹先生|昭和黎明期の記録 @2006- 親鸞会 会員