高森顕徹先生との出会い

浄土真宗親鸞会 会員のページ

高森顕徹先生の妥協なき徹底した教導


すでに故人となった田渕トミさんは、高齢になるまで、長らく、高森顕徹先生の運転される車で、各地の御法話会場へ、聞法を欠かさなかった。
 どのような出会いがあったのだろうか。


土蔵秘事と誤解、謗り続けた痛恨の10年間


「今思えば、勿体ないことですが、長い間、高森顕徹先生を、土蔵秘事と誤解していました。あまりにお若い方が、『この世でハッキリと救われます』と言い切られるので、『そんなはずはない。これは、きっと異安心だ』と決めつけてしまったんです」

 富山県高岡市伏木に住む、田渕トミさんは、若いころから仏法を聞いていた。
 ある時、高森先生の噂を聞いて、隣の氷見市の先生宅まで訪ねたことがある。

「『あなたは、救われたのですか』と失礼なことをお尋ねすると、
『はい』とハッキリしたお答えが返り、『信心決定するのは、難中の難と聞いている。土蔵秘事なら大変。2度と会うこともなかろう』
と挨拶がわりに持って行った米もお出しせず、自宅に帰ってしまったのです」
 以来、約10年が流れ去った。

※土蔵秘事

 親鸞聖人の長子・善鸞が始めた異安心。善友知識などといわれる人間が儀式で信心を与え、そのことを誰にも言ってはいけないとする点が特徴。秘事法門ともいう。


聴聞してビックリ、思わず有線放送で叫ぶ


「それから10年ほど後、知人に誘われて、法話に参詣しました。
高森顕徹先生のご説法とは知らずにです」。

 その説法の壇上に立たれた高森顕徹先生を見てビックリ。
 ご説法を聴聞して、さらにビックリ。
 土蔵秘事だなどと、これまでの誤解は、いっぺんに吹き飛んだ。

「こんな素晴らしいお方、信前と信後の水際、要を明らかにされる方に、これまで何と大変な思い違いをしていたのだろう、と思いました」。

 真実を知ったら、じっとしてはおれない。
 自分の生家の村に戻るなり、有線放送のマイクを持って、田淵さんは叫んでいた。

「『親鸞聖人の生まれ変わりがおられるぞー。地球上に2人とおられないまことのお方やぞ』と夢中でしたね。
 それから高森顕徹先生お一人に、仏法を聞かせていただこう、と聞法を始めたのです」。

 高森先生が自動車を購入されると、先生から田淵さんの家に電話をされて、ご法話会場まで同乗させていただくようになった。全国各地でのご法話、田渕さんは、一座も欠かさじと、同行させていただいたのである。



イバラの道を突き進む、車中でのご教導


 車中で、さまざまなことをお聞きした。

「あれは、田植えの季節でした。窓から、水田で懸命に働いている人たちをご覧になって、『大変なことだなあ』と一言仰有ったのです。それは『真実の仏法を聞き求めるのは大変なことだぞ。まことのない者が、こうして聞法していることを喜べ』という御心だと思い、感謝一杯でした」

 まことに百千万劫にも遇い難い仏縁である。
 厳しい教導もあった。

「私は家族顕正に時間がかかりました。どうすればよいかご相談した時、
『仏法を求めるのはイバラの道です。仏法のために、全力を出しなさい。苦労が足りません』
と厳しい口調で仰有ったのが胸にこたえました。私なりに仏法最優先を心がけていたのですが、甘さを思い知らされました」

 やがて家族とともに、聞法に馳せ参じるようになったのである。
 高森顕徹先生が、海外ご布教におもむかれる時も、高齢を押して参詣し、会場では常に最前列で、決死の聞法であった。

 生前、こう語った。
「『後生は甘くないぞ』のお声が聞こえてきます。しかし、仏法のための苦労は、すればするほど、必ず素晴らしい結果になる。
 聞けば聞くほど獲信は難中の難ですが、それが弥陀の一声で、易中の易に転じますから。」

 聞法一筋、文字通り、高森顕徹先生とともに歩んだ40数年の輝く歳月であった。


親鸞会と高森顕徹先生|昭和黎明期の記録 @2006- 親鸞会 会員