高森顕徹先生との出会い

浄土真宗親鸞会 会員のページ

なぜ真剣にならぬのか(2/3)

寺と離反

 ある時突然、寺が高森顕徹先生に場所を貸さなくなりました。よくよく聞いてみると、高岡の教務所がしたことらしい。当時の所長が私の寺の住職だった。それを聞いた主人は、大層腹を立ててねぇ。

 その後、うちで法事をした時、その坊主が来た。門徒がたくさんある大きな寺の坊主で、威張っとった。
 主人は、控室にお茶を持っていって、

「高森先生に寺を貸さないようにしたのは、あんたやったそうな。それ聞いてほんまに腹立って情けのうて。もう、あんたには来てもらわんでもいい」

と言って、30分以上も延々と責めていました。その間、坊主にお茶も飲ませなんだ。
 その後、坊主が、

「うちの門徒におとろしもん(恐ろしい者)がおる」

と言うようになった。
 それからは、法事なども親鸞会の講師の方にしていただいています。


常に話し通し

 午後のご説法が終わったあと、みんな高森先生の部屋に行って、お帰りになるまで、話を聞いておったもんです。
 高森先生は、食事を召し上がられたかどうか、分からんくらい。もう、お話し通しでした。
 主人は、しょっちゅう高森先生のそばに行っとったもんです。うちでご法話の時は、私は炊事場で忙しくしとるので、主人が高森顕徹先生の給仕をしました。

 ある時、すき焼きをお出ししたら、
「吉川さん、あんたも一緒に食べよう」
と言われ、部屋で高森先生と一緒に頂いた、と喜んでいました。
 仏縁薄い私たちのために、どれだけ時間をかけて導いててくださったでしょうか。

 ご法話前日の座談会は、深夜までされ、仏法の話だけでなく、政治、経済、世界情勢など、ありとあらゆることを話題にされました。
 それを縁として、真実に近づかせたい、というお気持ちであったと思います。


家族そろっての仏縁

 ある日、診てもらっていた医者と連れの者が、うちに来たんです。事務を執っているらしいその連れの人が、

「わしは氷見の者で、知り合いが親鸞会に入っていたけど、やめさせたんや」

と言うのを聞くなり主人は、テーブルをたたいて、

「親鸞会がどんな会で、どなたが話されるか、知っているのか!」

と言いました。酸素吸入器をつけていて、言いたいことはあれど、呼吸がつらい。息子が40くらいでしたが、主人の代弁をしました。

「あんたも仏教聞きなさい。因果の道理が説かれているから。それを信じて生きなさい」

 息子は仏法を聞いとらんやろと思っていたのに、家庭法話で聞いてたんですね。

「父は学問はないけど、一番大事な仏教を聞いて、信念貫いてきたから、私は尊敬している―――」

と言うてくれて、医者が帰ってから、
「これもみんな高森顕徹先生から、まことの仏法を聞かせていただいたおかげ」
と、主人と2人で喜んでおりました。


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親鸞会と高森顕徹先生|昭和黎明期の記録 @2006- 親鸞会 会員