高森顕徹先生との出会い

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兄のように慕った高森顕徹先生

「3日で聞けるよ」

子供のころからご縁はあったものの、自ら仏法を聞き求めねば、という気持ちになったのは、仕事を始めてからです。

高校卒業後、商人になりたいという私に高森顕徹先生は、岐阜で大きな商売をしている人を紹介してくださいました。婦人服の生地を扱うその店で5年間、奉公したあと、独立した昭和36年のことです。私は母に、岐阜へ来てほしいと頼みました。

母はその時、高森先生に相談したそうです。高森先生は、
「それは岐阜に真実広めよ、という無上仏のご方便だと思います。岐阜で頑張ってください」
とおっしゃってくださり、母と一緒に、岐阜で暮らすことになりました。

Yさんは転居後、岐阜市内の寺を借りて、高森顕徹先生を招待した。

岐阜での説法のあと、いつも高森先生は、うちに泊まられました。
「今日の話、分かったか」
とお尋ねになるので、
「仏法聞く目的は信心決定だと分かりました。どのくらい聞いたら、獲信できるでしょうか」
とお伺いしました。すると、
「一生懸命になったら、3日で聞けるよ」
とおっしゃいます。

「それなら、私も信心決定しておこうか」
と軽い気持ちで、続けて聞かせていただきました。

3日間、真剣に聞いたつもりでしたが、そんな心構えで救われるわけもありません。すると高森先生は、
「3日では難しいと、分かっただろう。一週間、聞いてみなさい」
と言われます。

「仕事を休んでも聞き抜くぞ」と意気込んで、滋賀県で一週間、聞かせていただきましたが、助かりませんでした。

一週間後に高森先生は、
「簡単に聞ける法ではないのだよ。仏法の重さが分かったか」
とおっしゃいました。

獲信の難しさが知らされましたが、続けて聞法したおかげで、わずかなりとも聖人の教えの、底の知れない深さが感じられるようになりました。最初から、
「一生参学の大事だ」
と言われたら、私のような者は聞かないと思われて、高森顕徹先生は、そのように導いてくださったのです。

聞法を続けるようになった私でしたが、すぐには真剣になり切れずにおりました。
そんな私を変えたのが、母の姿でした。

岐阜へ高森顕徹先生をご招待し始めたころ、母は私に毎月、案内ポスターを書かせ、それを張るように言いつけました。

最初は素直に、自転車で寺の周辺に行き、30枚、50枚と張って回りました。

しかし、商売を立ち上げた当初のこと。だんだんと面倒になり、
「この忙しいのに、ポスター張りなんて、やってられるか。仏法なんか聞いておれん」
と母に反抗してしまったのです。

その時、母はいきなり、台所の土間に土下座して、
「頼む。仏法聞いてくれ」
と言うではないですか。台所が下駄で歩く場所だった時代、本来厳しい母の、そんな姿を見せられては、

「性根を入れ直して、聞法させていただこう」
と、思わずにおれませんでした。

車で飛騨を山越え

当時、高森顕徹先生は、車で岐阜へ布教に来てくださいました。
先生が通られたのは、飛騨高山を越える国道41号線です。舗装も十分されていない、ほこりっぽい道でした。ぬれタオルを首に巻かれ、乾いたら、またぬらされて、7、8時間、一人で運転して来てくださったのです。

私も富山へ行く時は、その道を通ったのですが、砂利道では車がガタガタと揺れ、本当に大変でした。

「ああ、先生もこの道を通って説法に来てくださっているんだなあ」
と、申し訳なく思ったものです。

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親鸞会と高森顕徹先生|昭和黎明期の記録 @2006- 親鸞会 会員